春日大社も興福寺も、
「藤原」という。お家のものなのだ
と、
気付いたのは、春日大社の宮司の早朝案内に参加し、
参道の石燈籠の由来を聞いた時だった。
その昔、奈良から大阪への山越えの道で、
山賊が出て、困りに困った商人達は
談合の末、春日大社に
社紋のはいった提灯を
使わせていただきたいと願いでた。
その提灯のおかげで
賊に襲われることなくなった商人たちが
寄進した大きな石燈籠が
参道に今も残る、と。
さすが、中世。
泥棒までも神を恐れるかと思いきや、
宮司のお話しは続く。
実は、
春日大社の社紋と興福寺の寺紋は、
同じ下がり藤。
当時、興福寺には1400名程の僧兵がいた。
僧兵というのは、お寺の暴力担当、
例えば武蔵坊弁慶のような人たち。
それが1400人、
今の奈良公園の鹿の代わりに
ウロウロしてると
思い浮かべて頂きたい。
その人たちの持ち物に、手をだしたら、
待ってましたとばかり、
暴力のプロが山狩をする、
その剣呑さといったら…
商人たちか興福寺ではなく、
春日大社に提灯を借りたというのも
故あることかもしれませんね、と。
お話を聞いて、お参りして、
それから奈良の街をてくてく歩いているうちに、
紋が同じなのは、春日大社も興福寺も、
もともとは藤原さんちのもの、私物。
いや一族の物だと思い至る。
下がり藤の紋も、
国宝、重文、山盛りのそれもこれもが、
その昔、鎌足さんが「藤原」の姓を貰ったことに始まる。
それにしてもなんで「藤原」?

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