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上手くなれないのは部品がないから

昔の話、
義太夫の稽古を始めた。
その時、お師匠さまは80過ぎ、私は30代
弾き語りなさるお師匠さまの
前に座って、真似るのだが、
ほんの5分で汗だく、息切れ、ヘトヘト。
真似るどころか、声が出ない、息が続かない。

あゝこれは、うまくなるどころじゃない
声が続いて稽古できるようになるのが先
しばらく笑われよう
頓狂な声で上等、フルスロットルで蝉が鳴くようにミーンミーンだわ、


続けること3年。
大きな声で、30分から45分語りについて行けるようになった。

さて、息は続くようになった。
さあ、お師匠さまの素敵な節を真似よう!


でもうまく行かない。
素人弟子仲間のを聞いても、おんなじふうに違う。

色々試行錯誤して、
また、邦楽のお若い方々が西洋音楽とコラボした後、
妙にメロディアスというか音が流れるようになったのも、だいぶ見聞きしたのもあって、
邦楽と西洋音楽は、根本のところが違うんじゃないか?
洋楽に慣れた私の耳は、お師匠さんの音の展開を拾えないんじゃないか?と思いつき、

洋楽を聴くのをやめた。

ストーンズも、カザルスも、唱歌も、ナツメロも歌謡曲も、お預け。
続けること3年。

さて、節が上手くなれたのやら、なれかったのやら
それは別にしてお稽古が楽しくなった
お能や歌舞伎の詞章も聞き取れるようになった
邦楽の良さがちょっとわかるようになった。 

で、
どこでもドアで、義太夫のお稽古を始めたときの自分に会えて、
お稽古まえに、私と10分体操しましょうと、教えることができたら、
30分呼吸が続くのに、3年もかからなかっただろうにと思う

腹に息を吸うの肚の場所と
お尻をどんと落ち着けてはその場で。
肚に息を吸うは3回位で、
ゆるむように語るは、思い込みを変えることだから何ヶ月かかかるか?

で、息をハラで吸うゆるむように語る方向で、
実際、義太夫を語りつつ息が続くようになるにはもうちょっと時間がかかるかも。

どこでもドア、あると良いね。













 

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