鍬形惠斎 人物略画式より模写彩色 前回は、「行進てなんぞ?」でしたので、 今回は「号令」と「一本締め」揃うのは同じ、 だけどちょっと違うという話です。 学生、生徒、隊員さんなど、従う立場の人と、 号令をかける人がいて、 タイミングが合うよう身体が変わるほど練習を重ねる。 皆で同じ動作するのにむいてるのが号命 一本締めは合うもんだから合う。 合わせる練習はしない、 一本締めは、お祭やら棟上げ式やら、 一つの事を沢山の人々のいろんな力をあわせてつくりあげる時、 つくりあげた時に、いろんな年齢の、いろんな身体の人達がやる。 うまく決まると気持ちが良いし、嬉しいのは 一瞬、みんなが一つの身体になる快楽があるからだ。 初めてはこっそりキョロキョロ、目であわせるけど、 人がいる、人の息を感じとることができる大人はきれいに合う。 で、「号令」という表にあらわれた切っ掛けで揃うのと、 「一本締め」のように息とか気配で合わせるのがあるというのがここまでの話。 勿論、号令であわせていても、 スーパーパフォーマンスになる頃には、気配で動いてる だけれど、「息や気配であう」が前提なのと そうでないのはできあがるものが大違い。 小学生の頃、父親の参加する宝生流の謡の大会に行った。 地域ごとの発表が続くなか、一際力強く謡がそろっているグループがあって、 子供心に取っ付き易くて、いいんじゃないかと思われた。 と、前の席の御老人が、「揃える稽古をしちゃったねぇ、 みばは良くなるんだけど、違うんだよねぇ」と呟き、 隣の御老人が頷いているのが見えた。 そんな事を思い出します。 上の挿絵は、 何すればいいかわかってる人とやると良いわよね の図です。