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名をつける、名を贈る

  たくさんの同じようなもののなかから ひとつを抜き出して名前をつける。 と、それはもう特別なもの。  今までと別な存在になる。   たとえば、ある日、お家に子犬が来る。 名前が決まると、もう、うちの子。 日々、思い出と愛着が積もっていく。 あるいは、今までなかったもの、 またはとらえ切れないなにかに名をつける。 漠然としたなにかに名付けることで、 名前と、名付けられた何かを 感じとる自分の感覚とのズレが見える。  ズレがあっても、 名があれば、そのものはある。 呼ぶことも、探すことも、 それについて考えることもできる。 中臣鎌足 本名は鎌。 死の床に見舞いに来た、天智天皇に 669年10月15日  大織冠 正一位内大臣 藤原の姓を賜ったが 翌16日没。 藤原の姓はここに始まる。 死にゆく人に名を贈る。 最高の位と冠を添えてのことだから、 「あんたは特別!」 そして「中臣の末端にいないで、新会社おこしちゃえよ」 ということだろうか? それとも能力はあっても一人で立てる足場の無かった鎌足に 足場を与えたのだろうか? 669年10月15日、鎌足に「藤原」の姓が与えられ、 その後の藤原氏があり、春日大社や興福寺などがある。 名付けは大きいね。

なんでまた、藤・原?

亀戸天神の藤棚が美しい頃、 千葉から館山への高速バスに乗ると 日当たりの良い斜面の木々にポツポツと 藤の花がかかっているのが見える。 葛は横に這い広がる。だから葛原はある。 が、 藤は高く木々をつたい上がり、枝垂れるもの。 藤の原は景色として、あるのか? 藤棚にしたてるのは江戸時期。 庭木の松に藤がかかるのは平安時代。 万葉集の藤の花は2つの距離で愛される。 愛しい彼女を思い出させるもの、頭にかざすかざしもの、 これは手に取る近さ。  ホトトギスに散らされる、あるいは水底に映る、 浦を漕ぎ巡る舟から見る、これは眺める距離。 そして、おおくは藤波と書かれ、水の気配がまとわりつく。  「藤原家家伝書」に藤原の姓は、 鎌足の生まれた大和国高市藤原にちなむという。 その地はかつて、衣通姫が住んだところ、 清らかな水が湧き出る井戸の上を藤の大木が覆っていたから 「藤井が原」略して「藤原」と呼ばれた。 時代は下って、鎌足の頃にもその藤はあっただろうか。 吉野金峯山寺蔵王堂の右後に、皮を剥いても一抱え、 梨とも思えぬ太く高い梨の柱がある。 そのように、今の私達に思いも及ばぬ 大樹と藤の古木があったとしたら。 梢の子躍り満樹の藤揺るゝ 中村草田男 時代の違う俳句だけれど、 ここにあるのは藤の花の海原を渡る波。 その大樹を鎌足と一緒に見た記憶が 天智天皇に、あったとしたらと思う。 ちなみに、衣通姫は 姉の夫、允恭天皇に妃になれと7回言われて7回断ったら、 天皇の命を受けた中臣烏賊津使主が庭で土下座で 隠し食いしながら7日のハンストパフォーマンス。 使者を殺すわけにはいかず妃になった。 が、 苛烈な性格の姉の怒りを買い、 皇居に入れず、藤原に住んだ。 烏賊津使主は、その後も衣通姫の警護をし、 名代として藤原部をおさめ、私し、 力をつけていったんだそうで。 後の藤原氏の遣り方の祖型があると言えるかも。

名付けから始まる

春日大社も興福寺も、  「藤原」という。お家のものなのだ と、  気付いたのは、春日大社の宮司の早朝案内に参加し、  参道の石燈籠の由来を聞いた時だった。       その昔、奈良から大阪への山越えの道で、 山賊が出て、困りに困った商人達は  談合の末、春日大社に 社紋のはいった提灯を 使わせていただきたいと願いでた。   その提灯のおかげで 賊に襲われることなくなった商人たちが  寄進した大きな石燈籠が 参道に今も残る、と。   さすが、中世。 泥棒までも神を恐れるかと思いきや、  宮司のお話しは続く。   実は、 春日大社の社紋と興福寺の寺紋は、  同じ下がり藤。   当時、興福寺には1400名程の僧兵がいた。  僧兵というのは、お寺の暴力担当、  例えば武蔵坊弁慶のような人たち。  それが1400人、 今の奈良公園の鹿の代わりに ウロウロしてると 思い浮かべて頂きたい。   その人たちの持ち物に、手をだしたら、  待ってましたとばかり、 暴力のプロが山狩をする、  その剣呑さといったら…   商人たちか興福寺ではなく、 春日大社に提灯を借りたというのも  故あることかもしれませんね、と。   お話を聞いて、お参りして、  それから奈良の街をてくてく歩いているうちに、  紋が同じなのは、春日大社も興福寺も、  もともとは藤原さんちのもの、私物。 いや一族の物だと思い至る。   下がり藤の紋も、 国宝、重文、山盛りのそれもこれもが、   その昔、鎌足さんが「藤原」の姓を貰ったことに始まる。   それにしてもなんで「藤原」?