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美味しいドングリクッキーにするには?

どんぐり拾っちゃったので、クッキーを作りました。
秋口、ふと見やると、公園の縁の木々にたくさん実がついてる。
マテバシイでした。


「どんぐり」でググってみると、
思いの外、どんぐりクッキー作ってる人多いらしい。
先人のレシピに従って、
作ってみました、どんぐりクッキー。

拾うのはあっという間。
水に浸して浮いたのは捨てる。
(これは虫食いを避けるため)


マテバシイはアクが少ない種類のどんぐりなので
生で食べられるらしい炒ったら美味しいらしい…
やってみた。

渋かった!

炒ったどんぐりを粉にして、
小麦粉、砂糖、太白胡麻油を足してクッキー作ってみました。

1枚ぐらいは「美味しい」と言って食べれるかな。
口の中に風味というよりはアクに近いものが広がって、
2枚食べると「もう充分頂きました」感が満ちる。


これはいかんと色々調べまして、
すると縄文食や、自然の中で遊ぶ、で
どんぐりクッキーにこだわってるかたが
たくさんおられるということがわかりました。
本も結構出てる。

で、ざっくり言うとドングリのアクは水溶性なので
アクが取れるまで熱を入れてはいけない。

で、マテバシイでリトライ。
どんぐり拾って、水につけて選別して、どんぐりの荒皮(殻)剥いて甘皮むくまでは一緒、

フードプロセッサーがあれば一瞬で粉砕できます。
無ければ包丁で刻んですり鉢でゴリゴリ。
時間もかかるし結構疲れます。
そしてその摺鉢に水を口まで注ぐ。
食べ物とも思えぬ茶色い泥水ですが、放置。
どんぐり粉が沈殿したら、上水を捨てる。
そして、水を縁まで注ぐ。
茶色い泥水ですね。
これを繰り返します。
水が澄んできたら終わり。
三種のどんぐりでやりましたが、5回から16回、半日から3日ぐらい。

上水を捨て、鉢に残ったのがアクが抜けたどんぐり粉。
これをどうやってクッキーにするかは次回。

(殻を剥くには、ペンチを使っている方が多いようですが、
くるみを割る道具がとっても便利でした)















 

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