「泉」の内容をざっくりまとめれば、
又、西の山本の泉という集落は、流された順徳院のいらした所。
順徳帝は前世の功徳で帝にお生まれになったのに、流罪になって
田舎の、屋根に羊歯がはえるあばらや、雨が降ればぬかるむ庭に暮らされるとはお気の毒
どうぞ心を澄ませて極楽往生の道をおすすみ下さい
これに和歌が8首書きこまれて、イメージと意味が重層的になっている(本文引用部分)
①限りあれば萱が軒端の月も見つ知らぬは人の行末の空(後鳥羽院、世阿弥は順徳院作として引用)
②天離る鄙の長道ゆ恋ひ来れば明石の門より大和島見ゆ(柿本人麻呂)
③夕立のなごりばかりの庭たづみ日頃もきかぬかはず鳴くなる(順徳院)
④下くぐる水に秋こそ通ふらし結ぶ泉の手さえ涼しき(中務)
⑤人ならぬ岩木もさらに悲しきは美豆の小島の秋の暮れ(順徳院)
⑥樒つむ山路の露に濡れにけり暁起きの墨染の袖(小待従)
⑦薪こる遠山人は帰る也里まで送れ秋の三日月(順徳院)
⑧言うならく奈落の底に入りぬれば刹利も首陀も変わらざりける(高丘親王)
⑨蓮葉の濁りに染まぬ心もてなにかは露を玉と欺く(僧正遍昭)
①②で流人の感概、軒の月から遠い空、海から彼方の懐かしい故郷
③④⑤は叙景、夕立からの水たまり、
そして地下からこんこんと湧き水、「涼しき」の語が出、
「悲しみ」とともに水量が増えて川
⑥で山の樒、出家者と朝日、ここでも露
⑦ で秋の山里、そして秋の月(月は寂かな心のシンボル)
⑧世間がいうには、地獄に落ちれば王も奴隷も変わらなかった。
と怨みの根をダイレクトに斬り
⑨濁らないで、怨まないで、「涼しき道」🟰極楽往生してね で、露がキラリ
歌を辿ると物語になってるように見える
何の物語か
そしてね、
登場する9首7人の歌人のうち、流された又は冤罪を被った人が
御鳥羽院、順徳院、柿本人麻呂、高岳親王の4人。
も一つのおまけは、①の限りあれば萱が軒端の月も見つ知らぬは人の行末の空
という後鳥羽院の御製を順徳院御製として引用したことについて。
貴顕の中で綱渡りのような世渡りをしていた世阿弥が、
歌の作者を間違えるなんて迂闊なことをするわけがない
ならば
世阿弥はこうする事で、順徳院に重ねて、後鳥羽院等、流され王達を
まとめてシテの座に据えた…ように私には見える
で、そうするにあたって、崇徳院と西行の説話の影響があるんじゃないかなと言うのが
次のお話。
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