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八重桜は桜餅


 四月上旬、今はいろんな所で八重桜が満開。

八重桜を見ると桜餅が食べたくなる。

桜餅にもいろいろあって、毎年違うのを食べるのも愉しい。

そんなことをしていると忘れられない桜餅も出てくる。

随分前、ここは格別美味しいのよと教えてもらった赤坂の老舗の道明寺の。

口にした途端、歌舞伎舞踊の「道成寺」が思い浮かんだ。

何も言わずとも、「歌右衛門の道成寺だね」と

一緒に食べていた人が言ったのも面白かった。

一度きりのこと、でも和菓子恐るべし。


月日はたって、その店もデパートに出すようになり、

ワインから広がる景色を語るのが、見せ場の漫画

「神の雫」が大当たりし、

そして私は、諏訪と奈良の酒蔵で利き酒して、

酒にも景色があるを知った。

で、

桜餅は小豆と砂糖と道明寺粉か小麦粉と桜葉の塩漬け、

ワインは葡萄、

酒は米と水と麹。

材料はそれだけ。


だのに、でてきたものの差。

天と地ほど違う、

または、驚くべきバリエーションの豊かさと言うか…


奈良の酒を紹介する人は、

「ワインは葡萄を作る人の腕、酒は杜氏の腕が勝負」と言っていた。

腕ってなんだろう?

技術?熟練度?知識?

それだけではないような…





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