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10月, 2024の投稿を表示しています

区切るものと、そこでおこなわれることと

 現在、東博でやってる埴輪展に、 日本で1番大きい(高さ242cm )円筒埴輪が出てる メスリ山古墳では石室を二重に100本以上の円筒埴輪でかこっていて、その中で一番大きい これともう一本大きいのが、森の中の2本の大木みたいにそびえ立っていたみたい。 土と火でつくり上げた巨木のようなのが小高い丘の上に並び立つ。(出雲から奈良に製鉄がもたらされたのが3世紀) 出来た当時の人にはさぞやインパイトがあったでしょう これについて1089ブログ https://www.tnm.jp/modules/rblog/1/2020/01/28/%E4%B8%96%E7%95%8C%E6%9C%80%E5%A4%A7%E3%81%AE%E5%86%86%E7%AD%92%E5%9F% に図があって 「 ここまで密に円筒埴輪を並べる理由としては、聖域として区画したい意図があったのでしょう。」とある 円筒埴輪  メスリ山古墳出土 4世紀   囲った聖域の中で何をするのか 大祓詞では罪が消える最後の過程を 「速佐須良比賣といふ神 持ち佐須良ひ失ひてむ」 という。 流罪は祓い清め=罪けがれは、誰かが聖域からおわれ、流浪して消すもの 聖域の中に囲うならば、心に寄り添い心慰める。霊鎮めしかないように見える で、こちらは時代も場所も違う、でも古墳にあった踊るひと。 さきたま史跡博物館 踊るハニワ

『金島書』を読み始めてみた4 時鳥

4段目「時鳥」 ざっくりな内容は 佐渡島の八幡宮ではホトトギスが鳴かない 「鳴けば聞く聞かねば都の恋しきにこの里過ぎよ山ホトトギス」と 昔流された京極為兼が詠んだから。 時鳥も人の気持ちがわかるんだね。 講座で、小田先生からは「山ホトトギス」の歌と、歌をきっかけに鳴かなくなった話は各地にあるとうかがった。讃岐に流された崇徳院にはほととぎす塚がある https://www.city.sakaide.lg.jp/soshiki/bunkashinkou/sutokujyoukou.html 坂出市HP   崇徳上皇 この歌を誰が詠んだかググっても出てこない。 和歌集にはないと大内端恵さんの「近世宮門跡の文事 知恩院宮良純法親王を中心に」にあった。 順徳院は佐渡で、後鳥羽院は隠岐で、尊良親王は土佐で このうたをよんだことになっていて. 田舎に放り出された貴種はこんなもんだという通念があったのかな? ここで流されて、都のみやびを恋しいと思う貴人達がぼんやりとほのめかされる。 順徳院と、個人を名指さない。 ところで、和歌フィルターがかかってない私たちにはどう聞こえるだろう? https://youtu.be/pJKsawqZPTs?si=B_ei_KFimi3e8Fls 時鳥鳴き声 YouTube(ポピンズくらしサポ) ついでに、1段目の「若州」の末に引用される白楽天の琵琶行に時鳥が出てくる。 (僻地に流されて)朝から夕方まで耳にするのは、ホトトギスと猿の悲しげな叫び声 『其間旦暮聞何物 杜鵑啼血猿哀鳴』 https://youtu.be/cNpzyMykpPw?si=-eQBtK06GYJ1O3RU YouTube野生のニホンザルの声 TOKIZO

金島書を読みはじめてみた3 心遣いの名人の続きの続き

 お能が素晴らしくって、感動の勢いで詞章を検索して読むと アレ?こんなだっけ⁇って思うことが度々ある 謡曲自体読めば素晴らしい。筋書きもその通り。 だけど あの時のお舞台の上では絶対違うことが起こってた。 コレってどういうこと? 言いたいことをわかりやすく伝える目的の文章と違い、お能の詞章は意味が何層にもなっていて意味が何重にも取れる仕組みがあるように見える 「金島書」の「配処」  世阿弥は佐渡島の太田海岸に上陸、 一泊して山越え 笠取峠、長谷寺 経由で新保の万福寺に泊まる。 仏の慈悲のおかげで静かな心で月を見る お墓はここだけれど、見上げるのは都の宮中の月と、心をなぐさめるのは 老人のささえか 罪なくて配所の月を見る のが昔の人の望みでしたのに私も風流心があるのだろうか 荒筋ならこんな感じだけれど、 世阿弥はその土地そのままを見るのではなく 思い出深い地名を拾って、記憶をぬり重ねる 笠取 (山)は観阿弥主演七日猿楽をした醍醐寺のこと。 10才の世阿弥が異能を尽し新熊野神社の猿楽興業のきっかけになった 長谷寺 は父観阿弥の名のゆかり 武術の「場を取る」も技術。 実際の立ち合いの場なら、場を目で見ておく、踏んでおくなど方法は色々あるが、言葉だけでするなら、このくだりで世阿彌は「場を取っ」たように見える。 神道では、鳥居や注連縄で場を区切り清め、太鼓の音で時を区切り、名を呼ぶ 寺の法会も大体そう。 場が区切られ、場が世阿弥のものになった。 そして「金島書」で世阿彌は誰を呼び出すか? 笠取山のところででてくる 山はいかでか紅葉しぬらん は古今集の在原元方「雨降れど露も洩らじを笠取の」が上の句。 元方といえば「あふことのなぎさにし寄る浪なればうらみてのみぞ立ちかへりける」 万福寺のありさまを「 来ぬ秋誘ふ山風の 庭の末に音づれて」という。 これに響くのは「 秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」古今集の藤原敏行 敏行といえば.「すみの江の岸に寄る波よるさへや夢のかよひぢ人めよくらむ」 記憶のかなたで波の音が響く。思いが届かない、かなわないという通底音 風と、水と、月と仏があって ここまでは背景。 ここまでの主語は世阿弥でもいい このあとの しばし身を奥津城処ここながら~ 月は都の雲居ぞと、思い慰む斗こそ この雲居は宮中だと思う そして見...

金島書を読みはじめてみた3 心遣いの名人の続き

空間を区切る。たとえば御神域、茶室、 たとえば今年の奈良博の「空海展」のメイン展示 区切って囲ったものを特別な空間にする。 高台にのぼって、眼下に広がる支配地を見るのが「国見」 土地の名を呼び誉めるのは、国魂への挨拶 世阿弥のように自他の境界が薄くて空間感覚が強い人が 知らない所に流されたら何をしたいか その視点からすれば「金島書」の「若州」「海路」「配所」は 国見、国褒めして自分の空間にしようとしているところではないかとおもわれる 佐渡島の地図に、世阿弥のルートと順徳院の御座所へを書いてみました

金島書を読みはじめてみた3 心遣いの名人

講座の資料の「上の御機嫌を守らへ、酒をも強ゐ申すべき時は強ゐ、控うべき所にては控えなど、心遣ゐして、…世子、かやうの所、ことに名人なりとて、みなみな褒美あり」  (『申楽談義』)の説明で、お上が謡が聴きたいと思い「謡いを」の「う」を口にした途端、世阿弥はその場にふさわしい謡をうたいだせた というお話があった。 武術ではこういう技術を「出を取る」と言う。 攻撃の動作を目で見て反応するのと、 攻撃をしようとする意識の起こりに反応するのとでは 何秒か違う 攻撃をしようとする意識の起こりが分かれば相手に攻撃させないこともできる 「出を取る」を技術というからには、技術を磨く方法もあって、 その一つが瞑想。世阿弥は参禅していたし、 子供の頃から義満や義満に忖度する権力者の毀誉褒貶の中に 観世一座の命運を背負って日々真剣勝負していた訳で 「出を取る」能力は日々磨かれていったんじゃないか そして「出をとる」技術とセットになるのが「空間把握」 「出を取る」人は相手が自分の一部になる この時支配権を持っているのは青の方 で、『出を取る」を複数に対してする時「場を取る」になる ここで支配権を持つのも青の人 人は形がくっきりしてるけど、空間はひろい だから、意識の範囲を自分で区切る。 じゃないと情報量が多すぎて実用にならない。 安全じゃない。 次はそういう感覚の人が知らない所に流されたら何をしたいかです

金島書を読みはじめてみた2世阿弥の身体のつづき

 前回は、世阿弥が軽技系も上手かったんではないかって話 その上で二条良基が「かかる名童候ふべしとも覚えず」と言う 10才位でほけほけとして けなげってどんな児? 二条良基にもらった名前が「藤若」 藤がふさわしいなら涼しい美貌 たおやかな.涼しい気配がする人には細いセンターが通っている事が多い (センターに興味があったら高岡英夫師の「センター、体軸、正中線」を参照) センターがあってインナーマッスルを良く使えている人。 近くで言えば、野球の大谷選手を思い浮かべていただければ、 あの魅力と明るさ、可愛らしさ そして気分のコントロールのうまさがそのまま 10歳になって小さくなってって感じ そして新熊野興業から100年後の思い出話「史記抄」60代の世阿弥の姿は 「体が小さくて(中略)体のキレが良くて、話が面白くて、座を温める人」 今は60歳はまだまだこれからだけれども、 室町期の平均寿命は寿命は15.2歳平均生存年数は37.9歳から45.8歳 ですから、当時としては並外れて強健で命溢れる方だったと思います

『金島書」を読み始めてみたの2 世阿弥ってどんな身体

1374年新熊野神社で観世ー座が興業して、 ものまね芸に田楽、曲舞をとりこんで評判をとったという 今に残る田楽、( 那智の田楽(和歌山)YouTube 一銭大学より https://youtu.be/crQBxIjgcbU?si=NfrWmAJyxkVdHksI  今に残る曲舞  神楽の曲舞( ひろしま油木神楽【曲舞&猿田彦の舞(事始めの悪魔祓)】油木神楽保存会2022.10.2~第18回帝釈峡スコラ神楽共演大会(YouTube 神楽コレクション ) https://youtu.be/7KYLc2Vix_Y?si=FVhPhjKmfgDI3FYR これが室町時代のものと、同じかどうかはわからないけど、 こ観世一座の大きさを考えてみた。 唯方が4.5人、曲舞は1人から2人、田楽は最底4人、見栄えを考えるなら20人、 ものまね芸1人から4人、裏方もいるだろうし、全員が何役も兼ねるなら十数人、 芸ごとのよりあいならば3.40人 旅芸人ならば、十数人の一座じゃないかと。 とすれば10才の鬼夜叉(後の世阿弥)は、ササラもすって飛びはねて、 舞いも舞っていたのではないかな. インフラが弱いところのモノマネ芸的ダンス( Hypers kids africa YouTube ) https://youtube.com/shorts/aEkJWv8C4Z0?si=CRYavBH2_Vdks6M 世阿弥本人が言ってる「足利きたるによりて劣りたる」って体から発するこういう魅力で喝采を集めちゃったけど、望む方何性と違うんだよなって感じかもと思う一つづくー

金島書を読み始めてみた1、小浜うみたびのあれやこれやが 

若州、海路という最初の2章 世阿弥7 2才5月4日に京を出て、5月5日に小浜に着く 今でも京都から小浜まで84キロメートル余り 歩いてだと22時間、馬だと1時間10キロとして9時間 この所要時間はGoogle mapの検索だから実際はもっと時間がかかるはず 1日で着いたのはフィクションなのか? ほんとに強行軍したのか 若州では若狭小浜の夏の景色を、瀟湘八景や白楽天を引用してるのが、 日本の田舎の明るい海をハワイ、 日本の涼しい山地をスイスと誉めるのと似てて 海路では、長い船路の様子 うみたびのあれやこれやが素敵 小浜を4日にでて佐渡島の大多の浦には5月下旬到着 ほぼ20日の行程 この段に出てくる地名名所の名を地図に書きこんでみた 名所尽くしですね

金島書を読みはじめてみた。0

櫻間金記師がお出になるので、2024年11月8日から始まる「演劇島」がとっても楽しみ。 楽しみついでに、 演劇島のプロジェクト プレ スタディ・リーディング新作戯曲「演劇島」理解のために #4 10月5日、世阿弥「金島書」を読む/ に参加した。 雨の中、池袋駅から歩いて、線路を越えたところにある小さな場所で始まった 小田幸子さんのお話と、小田さんと佐藤信さんの対談がとても面白くて贅沢で 聴いてる最中から妄想がはかどるはかどる。 その妄想があんまり頭から消えないので、書いてみることにした。 「演劇島」のパンフレットには、 1964年の舞台初演出以来 佐藤信が手がけてきた数多くの海外戯曲テキストを解体、断片化 世阿弥「金島書」とW.シェイクスピア「テンペスト」に描かれた 「孤島への流刑者」の視点を借りて紡ぎだす「記録演劇」 「島」.と呼ばれる場所  「追放者」と呼ばれる年老いた人物  演じられる七つの物語 七つの物語は「追放者」が見た夢なのか? それとも「追放者」がつくり出した幻なのか? 「島」に呼び覚まされた言葉に耳を傾けるのは誰か? ....うんぬんとあるのだけれど.「金島書」は佐渡島に流罪になった世阿弥が最後に書いたもの 世阿弥個人の悲しみとは別なものが中心にあるように見える