明治9年。
廃仏毀釈の時代に、来日したエミールギメは、フランスにギメ東洋美術館を作った。
ギメさんは実業家で、美術哲学、音楽に造詣が深く作曲もなさっている。
そのギメさんが、日光山輪王寺慈眼堂の法華懴法で
声明を初めて聞いた。
その印象を次のように語っている。
「声明の、多くの人間の声で作られる半音階の律動的な声は、
自然の偉大なハーモニーを連想させる。
それは、祈りではなく存在するものの響き、魂のコンサート、
人間を超えた世界からきたハーモニーである。
私は音のカオスを前にして強烈な印象を受け、呆然としていた。」
フランスはカソリックの素敵な大聖堂がたくさんあるところ。
そこで生まれたからには、カソリックの典礼を身に浴びて育っている。
そのギメさんの耳には、
「法華懺法」は、祈りだけれど人の祈りではない、
自然の、世界の響きとしてきこえてた。
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