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聳え立ったものは、場を変える

 浅草から船に乗ってお台場にくだる。

もう少し経つと、

この遊覧船のルート沿いに延々と続く桜並木が見もの。

来年の愉しみかな…



でも、今は、スカイツリーの話。

錦糸町の駅近く、スカイツリーがてっぺんから根元まで見える四つ角があって、
町並みの切れ目から突然
スカイツリーの全貌を目にすると、
出会い頭はうっかりポッカリ口が開く。

その土地の、目印になるものといえば、
お城、駅、寺社仏閣、学校、港。
キリスト教国ならば教会。
沢山の人にとって用がある、人が集まるところ。

塔は、どうかな?
野中で一本の大木を目指して歩くみたいなところがあるんじゃないか?

平らかだった場所に,なにかが聳え立つ。
と、
目が行き、興味が集まり、
人が集まり、店が増える。
まわりとかわらぬ寂れた町並みが
聳え立ったものを取り巻くように繁華な場所に変わる。

ということで、上の絵に
塔を描き加えて見ました。

          



中心ができるでしょ!


藤森照信さんの「五重塔」というムック本のはじめに、
ざっくりとした五重塔の歴史があって、その中に、
「人類が作った最初の建築は(巣とか棲家を除いて)
石を建てることである。」というような一節があった。
石を立てること、は、
木を立てる、柱を建てると形を変え、
お祭りの中に跡が遺る。


高く立ち上がる、上下に通る一本のラインは、
人の心を集める時に、その拠り所として、
繰り返し繰り返し建てられてきたということなのかも。

上下に通る一本のラインは、人間の体にも通ることがある。
一本のラインが通った姿は美しい。
たとえばこの方とか。

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