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外から見れば、一番大事なことをおざなりにしているように見えるのかな?


京都シリーズ。
相国寺で、レレレのおじさんの元ネタを見つけた後
コペル・リンポチェの講演を聞きに行った。

チベットの仏像と仏画の逸品の特別展と、講演会があったのだ。

リンポチェは、まず「仏陀の教えは心の科学だ」とおっしゃって
「皆さんに役に立つように」と五戒について丁寧に話し始めた。

・・・・五戒・・・・
1、生き物を殺してはいけない
2、人のものを盗んではいけない
3、不道徳な性行為を行ってはいけない
4、嘘をついてはいけない
5、酒を飲んではいけない
・・・・・・・・・

お寺が沢山あるこの国では、
誰でも必ず、たびたび、この五戒を
聞いたり読んだりしてる。
何故わざわざこの話をなさるのだろう?と思った。

だのに、言葉とおこないが一致している人の圧倒的な存在感。
リンポチェから聞くと、何か大事なことを逃してきたような不安を覚える。

そして、「戒を守らないものは僧侶ではない」
「戒を破ることを心に思ってもいけない」と何回もくりかえされた。
みなさんが五戒を知って、戒を守る方向に舵を切ることがあったら、
今日の意味はあった。とも。

お話し後、質疑応答があって、満場の拍手があって、
で、リンポチェは、私たち観衆に戸惑っておられるように見えた。



今になって思う。
これまで五戒を、社会の中でどう振る舞うべきか
=道徳のように聞いていたけれど、

リンポチェは、仏陀の教えは、
自分の心をどう扱うかが本質
との前提で、話された。

ならば、五戒は、自分が心安らかでいつづけるための方法だ。



戒を守らない者は僧ではないというのは、
この国の基準ではない。

死を受け入れるために仏に縋る、
望みが叶うように仏に縋る。
美術として仏像やお寺を好きになる。
そして仏教の講演会に集まる。

その中で、ゴペル・リンポチェはひとりぼっちだ。
穏やかに、戸惑いながら、
それでも大事なことを渡してくださったのだと気付いた。











 

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