ゴペルリンポチェのお話を聞いた翌日、
吉野の金峯山寺に行った。
甲信越でも関東でも旅した先に、役行者の跡がある。
なんだろう、この方とおもっていたが、
當麻寺で、役行者と空海が同じように大事に祀られているのを見て、
お二人は同じ役割を果たした人かも、
ならば、その方が成し遂げた一番の場所に
身を置いてみようとおもったのだ。
秋も終わり、桜の朽葉を踏むと、
一瞬、桜の葉の匂いがした。
その細道を登って登って、金峯山寺。
そこから、吉野水分神社まで一気に登って、
だらだらと戻ると、
行列に備える嬉しそうな山伏さん達とすれ違った。
その日は、役行者霊跡三十六寺出開帳で、
蔵王堂の回縁に、役行者像を祀る近畿の古刹がぎっしりと開帳していて、
賑やかに人々が参詣している。
地下では、大峯山の蔵王権現が出開帳。
御本尊の本物を差し向かいで拝めた。
本堂では、特別御開帳で、青い巨大な三体の蔵王権現を
足元から見上げて拝むことができた。
今思えば、吉野山の信仰の中心を一度に見ることができた恵まれた日だった。
蔵王堂から出ると、前庭に大護摩のために柴の山が積まれていて、
法螺貝が聞こえる。
この寺では、一般の人が山伏修行を体験できる。
その方々が山伏行列で町を練り歩き、護摩を焚くのだ。
お寺の偉い山伏さんが、行列する人たちを
我が子のように見守って、ニコニコしている。
今、荒業中といった風情の山伏さんは装束なしの地味な姿で、
観光客と参拝者と行事参加者でごった返す境内の誘導と進行をしている。
みんな嬉しそう。
もちろん、それを見る人達も嬉しそう。
役行者が大峰山で千日参籠したのに応えて、衆生を救う蔵王権現が現れた。
そのお姿を山桜の木に刻み、祀ったのが、金峯山寺と修験道の始まりだという。
山桜がそういうものなら、
長い年月をかけて植えた吉野三千本の桜は、
三千体の未発の蔵王権現か。
吉野山に生きる、詣でる、人々の供える花か。
その蔵王権現のおわす蔵王堂の内側には、
躑躅や梨の巨木が自然に近いまま柱として使われている。
皮を剥いてもひと抱えの梨の木ってどうよ!と思うけれども、
それも、この建物が作られた頃の、吉野の森の名残だ。
この土地に、長い時間と、沢山の人の営みやこころざしが積み重なって、
この場所ができ、人々のつながりができ、
そして、その中でみんなが嬉しそう。
ゴペル・リンポチェのブッダの教えは個人の心、
金峯山寺のは、関係性のなかに生きるということに
焦点があるようにみえる。
仏教というカテゴリーなら一括り。
だのに、とても違う
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