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4月, 2021の投稿を表示しています

あしたのための習慣

                                      鍬形惠斎 人物略画式より模写彩色 なんの気なしにやってる あたりまえだよ 普通でしょ? 気付くといつのまにかしてる それを習慣と言いますが、 それが明日の自分を楽に良くしてくれる 習慣だといいですね。 長く生きていると そうもいかない。 辛かった時の名残で, 気はすむけれど 後々.良くない癖を持っちゃってる事もある。 それはそれで、仕方がなかった。 これから .良い習慣につけかえてゆけるといいなあ 良い習慣を増やしてゆけるといいなあと思います。

うちはうち!よそはよそ!なのかも…

    京都シリーズ ゴペルリンポチェのお話を聞いた翌日、 吉野の金峯山寺に行った。 甲信越でも関東でも旅した先に、役行者の跡がある。 なんだろう、この方とおもっていたが、 當麻寺で、役行者と空海が同じように大事に祀られているのを見て、 お二人は同じ役割を果たした人かも、 ならば、その方が成し遂げた一番の場所に 身を置いてみようとおもったのだ。 秋も終わり、桜の朽葉を踏むと、 一瞬、桜の葉の匂いがした。 その細道を登って登って、金峯山寺。 そこから、吉野水分神社まで一気に登って、 だらだらと戻ると、 行列に備える嬉しそうな山伏さん達とすれ違った。  その日は、役行者霊跡三十六寺出開帳で、 蔵王堂の回縁に、役行者像を祀る近畿の古刹がぎっしりと開帳していて、 賑やかに人々が参詣している。  地下では、大峯山の蔵王権現が出開帳。 御本尊の本物を差し向かいで拝めた。  本堂では、特別御開帳で、青い巨大な三体の蔵王権現を 足元から見上げて拝むことができた。 今思えば、吉野山の信仰の中心を一度に見ることができた恵まれた日だった。 蔵王堂から出ると、前庭に大護摩のために柴の山が積まれていて、 法螺貝が聞こえる。 この寺では、一般の人が山伏修行を体験できる。 その方々が山伏行列で町を練り歩き、護摩を焚くのだ。 お寺の偉い山伏さんが、行列する人たちを 我が子のように見守って、ニコニコしている。 今、荒業中といった風情の山伏さんは装束なしの地味な姿で、 観光客と参拝者と行事参加者でごった返す境内の誘導と進行をしている。 みんな嬉しそう。 もちろん、それを見る人達も嬉しそう。 役行者が大峰山で千日参籠したのに応えて、衆生を救う蔵王権現が現れた。 そのお姿を山桜の木に刻み、祀ったのが、金峯山寺と修験道の始まりだという。 山桜がそういうものなら、 長い年月をかけて植えた吉野三千本の桜は、 三千体の未発の蔵王権現か。 吉野山に生きる、詣でる、人々の供える花か。 その蔵王権現のおわす蔵王堂の内側には、 躑躅や梨の巨木が自然に近いまま柱として使われている。 皮を剥いてもひと抱えの梨の木ってどうよ!と思うけれども、 それも、この建物が作られた頃の、吉野の森の名残だ。 この土地に、長い時間と、沢山の人の営みやこころざしが積み重なって、 この場所ができ、人々のつながりができ、 そして、...

外から見れば、一番大事なことをおざなりにしているように見えるのかな?

京都シリーズ。 相国寺で、レレレのおじさんの元ネタを見つけた後 コペル・リンポチェの講演を聞きに行った。 チベットの仏像と仏画の逸品の特別展と、講演会があったのだ。 リンポチェは、まず「仏陀の教えは心の科学だ」とおっしゃって 「皆さんに役に立つように」と五戒について丁寧に話し始めた。 ・・・・五戒・・・・ 1、生き物を殺してはいけない 2、人のものを盗んではいけない 3、不道徳な性行為を行ってはいけない 4、嘘をついてはいけない 5、酒を飲んではいけない ・・・・・・・・・ お寺が沢山あるこの国では、 誰でも必ず、たびたび、この五戒を 聞いたり読んだりしてる。 何故わざわざこの話をなさるのだろう?と思った。 だのに、言葉とおこないが一致している人の圧倒的な存在感。 リンポチェから聞くと、何か大事なことを逃してきたような不安を覚える。 そして、「戒を守らないものは僧侶ではない」 「戒を破ることを心に思ってもいけない」と何回もくりかえされた。 みなさんが五戒を知って、戒を守る方向に舵を切ることがあったら、 今日の意味はあった。とも。 お話し後、質疑応答があって、満場の拍手があって、 で、リンポチェは、私たち観衆に戸惑っておられるように見えた。 今になって思う。 これまで五戒を、社会の中でどう振る舞うべきか =道徳のように聞いていたけれど、 リンポチェは、仏陀の教えは、 自分の心をどう扱うかが本質 との前提で、話された。 ならば、五戒は、自分が心安らかでいつづけるための方法だ。 戒を守らない者は僧ではないというのは、 この国の基準ではない。 死を受け入れるために仏に縋る、 望みが叶うように仏に縋る。 美術として仏像やお寺を好きになる。 そして仏教の講演会に集まる。 その中で、ゴペル・リンポチェはひとりぼっちだ。 穏やかに、戸惑いながら、 それでも大事なことを渡してくださったのだと気付いた。  

教室を再開するわけ

 4月半ば過ぎから、 いくつかのサークルで活動を再開します。 新型コロナウィルス感染予防のため 昨年度はサークル活動を中止しました。 そして、その問題はまだ続いています。 だのに、ここで再開するのは、 1、1年経って各施設で検温消毒などの準備ができ、ワクチン接種もはじまること 2、おこもり生活が長くなったため、みんな運動不足とストレスが溜まっていること 3、また、運動不足により、心身の衰えがあんじられること とくに3の運動不足による心身の衰え、は、 私たち大人世代にとっては結構心配なことだからです。 一番いいのは、ご自分で生活の中の運動を多めにすること、 安全な散歩や家事や掃除、畑や庭仕事で身体をよく使い、 そしてゆる体操をしてお手入れすること。 でも、なかなかひとりではできないもの、 立ちゆる体操で、体の凝りが取れ楽になるを久しぶりにして、 運動量が増える生活に舵を切るきっかけにしていただけたらと 三密を避けるために、人数と時間を減らして、 いくつかのところでサークル活動をはじめます。 どうしてもリスクのあることですので、 どうぞご無理なさらず、 お互いのためできる限りの用心をして、ご参加ください。 もちろん、完全に安全になるまでお休みされるの歓迎です。 当たり前のレベルって、ほんとに人によって違います。 「スローライフって体力がいるのよ」と 田園生活を満喫している友人が、愚痴ってましたが、 ずっと体力を使ってるから、でき続けることがあって、 案外それって大事みたいです。

レレレのおじさんは拾得

京都シリーズ。 上は相国寺の美術館にあったお軸の絵の一部。 寒山拾得の拾得のほう。 この拾得が、レレレのおじさんの原型・・・ と言ったら言い過ぎか? 影響は直系じゃないところにポンと飛ぶことがある。 影響を受けた本人は気が付かないし、 影響を否定することがある。 無意識に影響を受けるとはそういうこと。 ルーズソックスが始めて流行ったころ、 女子高生の、短いスカートと ルーズソックスを履いてできるまっすぐな脚のラインって、 その子達の親世代が、読んでた漫画のヒロインの形。 あまり言われなかったけど、 気付いてた人はいたんじゃないかな?  

どんなからだをもったひとがつくったか?

これもずいぶん前の事、 京都旅行の散歩の道すがら 楽美術館 の特別展で楽歴代の茶碗をいっぺんに見た。 お茶を嗜まないが、日本のきれいなものを見に行くと、大概お茶碗がある。 近代の美術コレクターは、おおむねお茶マニア。 なので、そこでであうお茶碗は、わからなくても美しい。 さて、その美しい茶碗の中で、 シンプルで格別なものとして、であったのが楽茶碗。 形は碗と筒、 その上、色も茶か黒。 一子相伝で、代々の当主は次代のための陶土と釉薬の石を確保し、 妻は石をすりつぶして釉薬をつくる。 そんな風にして、安土桃山の時代から、 今に至るまで続いた楽家の茶碗を、 一代一碗でみると、それぞれ素敵で、 また、いっぺんに拝見できたから気付いたこともあった。 この時の旅のどこかで、 聚楽第の建設中、通りかかった利休(たぶん利休)が、 束ねた瓦を屋根に投げ上げたというエピソードを拾った。 楽の初代、長次郎の茶碗以前の作品、 獅子を見るとよくわかるのだけれど、 彼の作品は強い生命力に充ちていて、 この方たぶん、凄く身体能力の高い人、 体力と集中力があって、腕っ節も強かったんじゃないか。と 後の代の洗練された、知的な、あるいは洒脱な茶碗と 比べるとそう見えたのだった。 どんなからだをもっているかが、 たとえば、スポーツという場面ではパフォーマンスと直につながる。 今回は作陶だが、それ以外のジャンルでも、 どんなからだを持っているか? とできたものの質につながりがあるように私には見える。  

八重桜は桜餅

 四月上旬、今はいろんな所で八重桜が満開。 八重桜を見ると桜餅が食べたくなる。 桜餅にもいろいろあって、毎年違うのを食べるのも愉しい。 そんなことをしていると忘れられない桜餅も出てくる。 随分前、ここは格別美味しいのよと教えてもらった赤坂の老舗の道明寺の。 口にした途端、歌舞伎舞踊の「道成寺」が思い浮かんだ。 何も言わずとも、「歌右衛門の道成寺だね」と 一緒に食べていた人が言ったのも面白かった。 一度きりのこと、でも和菓子恐るべし。 月日はたって、その店もデパートに出すようになり、 ワインから広がる景色を語るのが、見せ場の漫画 「神の雫」が大当たりし、 そして私は、諏訪と奈良の酒蔵で利き酒して、 酒にも景色があるを知った。 で、 桜餅は小豆と砂糖と道明寺粉か小麦粉と桜葉の塩漬け、 ワインは葡萄、 酒は米と水と麹。 材料はそれだけ。 だのに、でてきたものの差。 天と地ほど違う、 または、驚くべきバリエーションの豊かさと言うか… 奈良の酒を紹介する人は、 「ワインは葡萄を作る人の腕、酒は杜氏の腕が勝負」と言っていた。 腕ってなんだろう? 技術?熟練度?知識? それだけではないような…