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3月, 2021の投稿を表示しています

寄ってたかって育てる

 狂言の万蔵師や、お能の九郎右衛門師、宝生欣哉師が お若くて頭角をあらわした頃、 重鎮方が、寄ってたかって 気前よく、胸を貸して、育ててらした。 名人上手勢揃いの舞台はもちろん一番楽しい。 が、名人上手の方々が、お若い方に存分にやれ と付き合っておられる舞台を見るのは格別な楽しさがある。 お若い方が失敗したり成功したりしながら みるみる自信をつけて輝いてゆくのは見応えがある。 落語も、才能あるなって人は、十人抜きの真打ちにしたりする。 小さい業界は一蓮托生。 花と才能のある人が育てば育つだけ、 増えれば増えるだけ、その業界が栄える。 回るお金も増える。後の世につながる。 長く続いてきたものには、 それ相応の理由があるのね。

わからないリズム、聞き取れない声

, 早池峰神楽を見に行ったのは、大学生の時。 バイト先の人が、早池峰神楽を一晩中見るバスツアーを企画して、 人数合わせで誘われたのだった。 演者ゆかりの農家の大広間に泊めて頂いて、 とうもろこしの茹でたの、野菜の天ぷら、 茄子とカマボコと紫蘇の甘塩っぱい炒め物だの、 お母さん方のいろんなご馳走を頂いて、 早池峰神楽の地元で一晩中、神楽を拝見したのだった。 (だいぶ新しいけれど、YouTubeに早池峰神楽があったので、ご覧ください。)         早池峰神楽大償神楽三番叟 拝見して、ビックリした。 音も踊りも物凄くかっこいい! 跳ねる跳ねる。強靭な足腰。 ああ、この人は山仕事する人だと思った そして、変拍子が入る。 拍子の取り方を随分親切に教えてもらったが 歯が立たなかった。 今まで自分の身に有った 音楽やリズム、運動と、全く違うものがあった。 すごく面白くてかっこいい、 だのに音もリズムも節回しも聴き取れないところがある。 それから、国立劇場でやる民俗芸能をよく見にゆくようになった。 いろいろな土地のいろいろな声、いろいろな踊り。 やっぱり、聴き取れない音や節回しがある。 それから十年以上経ったある時、 音頭取る声が全部聞き取れることがあった。 そして、これはわたしの耳が良くなったのではなく、 音頭取る人の身にある音やリズムが、 私のと同じになったのだなと思った。 ちょうど、カラオケが流行って 地方にもカラオケ屋さんが増えた頃と記憶している。  

場を変える、身体を変える。

原宿駅の喧騒から、明治神宮の大鳥居を入ると、 静かな場所になる。 参道を進み、橋を渡り、 鍵手に曲がり鳥居を潜る、 そのたびに空気が変わる。 その先が拝殿。 平日にいくと、たくさんの観光客がたのしんでいても そこはすっかり格別な場だ。 車や、駅や街の喧騒が遠くで響くが気にならない。 明治神宮をパワースポットとして、訪れる向きもあるように、 多くの人があの場所を格別と感じる。  そしてその格別に素敵な場は、 全国各地の神社をめぐって、研究したひとが設計し、 たくさんのひとのお骨折りで、つくられ護られできたものだ。 明治天皇が崩御されたあと、 野っ原だったところに、森を造り、社殿を建てた。 あの場はわりと最近、 そういう場所を作ろうと決めて作った場所 そう知った時は驚いた。 そして、身体についても同じようなことがある。 中心軸=センターというもの 天才、名人がもっているものだったのに。 今はこれも、体操でつくることができる。 ありがたいことです。

高いところに登ると、自然に肚に力が入る。

私は高いところが怖い。 だから高いところでお仕事するひとは、まず尊敬。 マンションの外壁の塗装工事のとき、 住んでる人と目線が合わない高さに足場が組まれるので、 横斜め上や斜め下で作業する姿や、足場を行き来する足元が見えた。 お仕事する姿は、センターが概ね通っていて格好いい。 夕刻お仕事を終えて、三々五々帰って行くときは、 センターが弱くなって、別人になっちゃっているのも面白かった。 「肚」に入る。がわからないなら、2階の屋根の上に登ると良いよ!と 言われたことがある。 怖いから私はやらなかったけど。 (よい子の皆さん、これはたとえ話ですから絶対にやってはいけません) 怖いと自然に肚に力が入る=肚があれば怖くても何とか居ることができる ...かな? 同じように、バランスが生死に関わるときには、 質はどうあれ、センターっぽいものができるように私には見える。 幕末から昭和初期の写真を見ていると、 今と、筋肉、骨格という身体のモノ的なところが大きく変わっているばかりでなく、 センターや肚みたいな、見えないモノも大きく変わっているようにみえる。 生活が便利になったこととの引き替えですね。 テレビで見た、東京タワー建設時秘話の写真が凄かったので、探してみました。 下のオレンジの字をクリックして御覧ください                                                    写真特集 50枚の写真で振り返る東京タワーの50年 (毎日新聞) 冒頭の一枚が、東京タワーを作った腕利きの鳶の皆さん。 まあびっくり!の姿です。

義太夫の声、謡の声

 昔、能楽師と新劇と小劇場の俳優が共演する舞台を見た。 皆さん、名のある手練れの方々。 その上、手持ちのやり方を捨てて、 基盤の違う人と、一緒にこの場で何かを作り上げようという、 気前の良い、勇敢な方々。 もちろん、面白かった。 で、 出てる方々はみんな 強烈な個性でらして、 その個性とは別なレベルで、 能楽師と、他の方々の間に、よくわからないけど違いがある。 「居る」も、「語る」も、「言葉を歌い上げる」も、「伝える」ことも、 同じ場で、同じことをしているのを見て、 新劇や小劇場の俳優さんの上手さ、面白さは、 自分のいるこの地面の 地平線の彼方か、山の頂上。 お能の方は違う地面に居られるようにみえた。 それは、良い悪いではなくて、「違う」と言うこと。 で、その「違う」声で語られる言葉の力に魅せられた。 さて、 西洋の歌は、一つの音を豊かに、美しく響かせる、 一方、謡や義太夫は、一音に複数の音が含まれるように思う。 謡を間近に聴くと、息の強さ、ボリュームもさることながら、 その響きに圧倒される。それは一人パイプオルガンさながら。 で、自分の声が単音でなくなるといいなぁと、 思って 義太夫の稽古を数年、 どうにか声に、 太棹三味線のビーンとなる的な感じの 響きが付いた。 その後、縁あって体操を教えることになって、 指導員試験の時、「声が泣き節なので直すように」と指摘された。 そう。 体操指導には伝統的な声はいらない。 いったん作った響きは、どうやって消そうかと試行錯誤。 とりあえずは喉周りを固めて、消した。 だのに、体操指導員の立場から考えると、 「固めて解決!」は緊急避難。 「 固まる」は老化なので、 固めることを選ぶと、 忘れた頃に勝手に老化が進んでるし。 喉周りが固くなると、声が硬くなるし、 唾液が出なくなる。 方法として「固める」は次善、と。 義太夫や謡の聲と今の日常の声とは 繋がりが切れているのではというお話です。、 明治時代、 ギメさんが声明を聞いて 階段とくねくねみち のお話もあるけど、 まだ続きます。

着物を着こなす

 明治15年、フランスがハノイを、イギリスがエジプトを占領した年。 フランスの青年4人が日本を旅した。 彼ら本来の服装のときは、探検帽にツイードを着て、なかなかスタイリッシュ。 なのに着物となると、ご覧の通り。 ほぼ、140年経って、 今の私たちの身体性はこんな感じに変化しているのではないでしょうか?

年経てわかるようになったこともあった

  昔の録画の踊りを見た。 その踊りが、上品で、行儀が良くて、素敵でびっくりした。 歌舞伎をよく見ていた頃、 この方のは隔月ぐらいに見ていたのに、 そのころのわたしにはこの良さが見えなかった。 これを生で見て素通りできるって、どういうことよ!と 昔のわたしを問い詰めたい。 生で見た頃から幾星霜、 歳を重ねて、 見ることを重ねて、 体操を続けて、 センターも前よりはできてきて、 ものを見る基準が変わったのかも 見なくていいやってものも増えたし。 受け取る方にも力がいるというお話でした。

お尻と喉仏は上がってた方がいい

リアストレッチする鹿 お尻と喉仏は上がっていた方がいいのは、 下がるのは筋肉が衰えた印だからです。 ここの筋肉が衰えると生活の質が下がります。 お尻の筋肉は、おなじみの 4月23日のこれ と お散歩でとりあえず鍛えていただいて。 今日の本題は喉仏。 おしゃべりする機会が減って、それが長引いてます。 声が出づらくなったりしてませんか。 困ったら、お医者さんに見てもらうのが一番。 そして、筋肉のコリや衰えがその原因なら、 動かすことで自分で良くすることができるかもと考えます。 発声練習というのご存知ですか? 屋上や河原から「ア・エ・イ・ウ・エ・オ・ア・オ」と 大きな声が聞こえてきたら、演劇部が頑張ってるなという場面。 あれに、音程をつけると、喉仏のよい運動になります。 ア・エ・イをできるだけ高い音で、 ウ・オをできるだけ低い音で言ってみてください。 結構、楽しい。 出来たら、喉仏に軽く指を添えてみましょう。 喉仏が動いてますでしょ? いわば喉仏のスクワット(^o^) やり辛かったら、首肩、顎の筋肉をゆるめるのものも良いですね。 朝日カルチャーセンター千葉で、 おこもり生活から日常に戻るためのセルフケアの講座をつくりましたが、 緊急事態宣言の延長で、どうなるか分かりません。 が、このお手入れは今の時期必要なことと思うので、記事にしました。 お楽しみください。  

サリーを着る。

これも、昔の話。 代々木公園のインドフェスで、サリーを着つけてもらった。 サーモンピンクで、キラキラとたくさんの刺繍がほどこされた、 美しい衣装を纏うのは恥ずかし嬉し。 写真も撮って浮かれた。 賑わいの半ばは、インドの方々。 白い絹のパンジャビスーツの美少女が、風切って歩いてくる後ろから、 少し年上のダークスーツが2人、守るようにいるのは、インドのお嬢様だろうか? なんて、雑踏ウオッチングしていると、 貫禄のある美しいインドの御婦人が歩いてくる。 良いところの令夫人。 歩いてゆくにつれ、揺れるサリーのすそが美しい。 初めて着ても、着付けが上手で、立ってるだけならなんとかなる。 動くとなると、残念なのがばれてしまう。 ピーター・ブルックという演出家は、いろんな国の俳優を取り混ぜて、 よく知られた劇をする。 「カルメン」「桜の園」「マーハバラータ」 いろんな国の俳優が一緒に出てるけれど、 鍵になる役は、その物語が生まれた国の人、というやり方をする。 その土地で生まれ育った人がやると、急に物語が土着的な匂いを放つのだ。 「マーハバラータ」では、妃の役をインドの女優がやった。 悪意に追い詰められて、怒り嘆き叫ぶ、 誇り高い美しい怒り。 これは初めて見た、と思った。 それぞれの土地に、地理条件と歴史と文化がつくった、 人物の型があるように思う。 「美人」とか「英雄」とか。 今の日本でその型が辛うじて残っているのは、 生身では歌舞伎の舞台の上かな?とおもう。  

バレエと日舞で共通して大切なもの

バレエを長年お稽古した人が、地唄舞を始めて しばらくして、というタイミングで話を聞いた。 「バレエも地唄舞も1番大事な事は一緒。 で、後は動きが外に開くか、内側に巻き込んで行くのかなのよ。」 身体の使い方の稽古仲間だったので、 その他のことはすっ飛ばしてはなしてます。 共通して大事なのは、 センター だそうです。  

聳え立ったものは、場を変える

 浅草から船に乗ってお台場にくだる。 もう少し経つと、 この遊覧船のルート沿いに延々と続く桜並木が見もの。 来年の愉しみかな… でも、今は、スカイツリーの話。 錦糸町の駅近く、スカイツリーがてっぺんから根元まで見える四つ角があって、 町並みの切れ目から突然 スカイツリーの全貌を目にすると、 出会い頭はうっかりポッカリ口が開く。 その土地の、目印になるものといえば、 お城、駅、寺社仏閣、学校、港。 キリスト教国ならば教会。 沢山の人にとって用がある、人が集まるところ。 塔は、どうかな? 野中で一本の大木を目指して歩くみたいなところがあるんじゃないか? 平らかだった場所に,なにかが聳え立つ。 と、 目が行き、興味が集まり、 人が集まり、店が増える。 まわりとかわらぬ寂れた町並みが 聳え立ったものを取り巻くように繁華な場所に変わる。 ということで、上の絵に 塔を描き加えて見ました。            中心ができるでしょ! 藤森照信さんの「五重塔」というムック本のはじめに、 ざっくりとした五重塔の歴史があって、その中に、 「人類が作った最初の建築は(巣とか棲家を除いて) 石を建てることである。」というような一節があった。 石を立てること、は、 木を立てる、柱を建てると形を変え、 お祭りの中に跡が遺る。 高く立ち上がる、上下に通る一本のラインは、 人の心を集める時に、その拠り所として、 繰り返し繰り返し建てられてきたということなのかも。 上下に通る一本のラインは、人間の体にも通ることがある。 一本のラインが通った姿は美しい。 たとえば この方 とか。

先人の肩に乗るか、ひとりでやるか

大分前のことだけど、 お若い方の「野守」を見に行った。 「野守」という能は、旅の山伏が 春日野を守る鬼神に、 「野守の鏡」と、その鏡がいろんな世界を映すのを見せてもらい、 そして、鬼神は地の底に消える。という話。 その時の鬼神が、なんだか戦闘ロボットみたいに見えた。 懸命につとめておられる、だのに何故だろう? たぶん、と思う。 「野守」は長い間、沢山の人が、描いたり、詠んだり 歌ったり、舞ったり、 いろいろ楽しんできたものだ。 その記憶やものがたりやイメージが、 「野守」の上に地層のように積み重なっている。 過去の方々がいろいろ重ねてきた その重なりと、ぷつりと切れて演じると 彼が普段見ているものが出ちゃうということだったのだと思う。 江戸と現代の身体性は切れちゃってるけど、 身体性以外のものも、今や 無意識のうちに先人の成果を受け取れる場はない。 良いとか悪いということでなく、 自分で選んでしなきゃいけないのだなと思う。

場をつくる。場がかわる。

大学生だった、ある初夏、 お昼前から国立能楽堂の当日券に並んだ。 前に並ぶご婦人は平泉から深夜バスでいらしたという。 金色堂の朝までかかる行事のことなど小一時間伺った。 運良く並びの席に座れた。 舞台に囃子方や地謡が並んで、 ぎっしり詰まった客席が静まって、 鼓がポンポンとなるとキラキラと波が光る穏やかな海が広がった。 一番終わって、言いたくてしょうがない。 喋っていい頃合いに 隣を向くと、キラキラした眼。 「「鼓が凄かったですね!」」と声が合った。 海がキラキラしてたのも、小舟がいたのも、 多分、瀬戸内海なのも、そうでしたよね〜と。 別な時、 ワキ方が橋掛かりを出てきて謡うと、 氷雨が降っている世界になった。 時が経って、その方のご子息が同じ役をつとめたとき、 落ち葉を踏む音が聴こえるようだった。 お父上のように、とつとめておられて、 目をつぶると、ところどころ懐しい響きがある。 一足一足、落ち葉を踏むその試みの果てに、 あの氷雨があるのかなあとしのばれた。 ひとつの鼓の音、一歩踏み出す足が 場をつくる 場を変える と知った。